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永遠の0

先日、息子がテレビで「永遠の0」をやるから、一緒に見ようと言ったので、見た。これは、小説が出た時、有名になったので、題だけは知っている。太平洋戦争のときのゼロ戦乗りの話だということも、見当がついていた。

 見ていて人並みに涙が出たところもある。しかし、この作品はしっかり纏まっていて、言いたい所はハッキリしていると思った。それは、主人公のパイロットがどうして最後に特攻員として出撃していったか、である。

 主人公は最も腕が立つパイロットであった。だが、妻子をもち、必ず家に帰ってくると約束していたから、危うい戦闘の最前線から常に離れた位置につけていた。とうぜん周囲からは非難の目で見られる。

 しかし、戦局もだいぶん不利になってきた昭和20年の戦闘で、多くの同僚や部下の戦闘機が次々に敵機に撃ち落とされ、死んで行くのを目の当たりにして、彼の心は揺らぎ始める。

 そうして、ついに彼は必死の特攻攻撃に自ら志願し、果てる。大局的に見て無意味とは知りつつ、どうして彼は最後に行動を変えたか。それは、多くの仲間が死んで行ったのに自分だけが生き残ったならば、生涯負い目を感じて生きなければならないと〈判断〉したからではない。

 それは言葉では表せないものだ、とたまたま生き残ったお祖父さんは孫に語る。まさに、そうである。それが結論だ。主人公の行為に、合理的な説明などできるものではない。にもかかわらず、われわれは彼に共感できるのである。

 彼の行為は意識的な判断によるものではない。もっと積極的ななにか、もっと強い力、必然とでもいうようなもの、ある深い宗教的感情とでもいうようなものに動かされたのではないか。

彼の特攻は敵空母を破壊することだ。もはや勝敗には関係がない。それは多くの敵兵士を殺すということなのだ。殺人である。それで思いだしたが、ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公である青年が、強欲の塊のような老婆を斧で叩き殺す。あの瞬間の感じを小生は忘れることはできない。やはり不器用にも、〈ある深い宗教的感情〉と名付けるしかないようなものを感じたのだった。(殺人がどうして宗教的、などと問わないでほしい。)

いや、両者は根本的に違うかもしれない。しかし、いずれにせよ、彼らの行為は、一切の意識の集中を超えた、あたかもリンゴが木から地面に落ちるように、物理法則に限りなく近い必然として共感できるのである。神の命令と言ってしまうのは易しい。われわれは、彼らの行為の前では、一切の説明的言辞を断念し、沈黙するしかないのである。


     

     
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テーマ : 哲学/倫理学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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