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歌集『遥』 選6

 昭和20年、日本の大都市は、おおむね焼け野原になった。そして占領軍が入ってくる。昨日まで「皇国のために命を捨てん」と言っていた学校の先生も、突然「今日から日本は民主主義の国になりました」と言う。まだ本当に戦う気構えであった純粋な若者たちは、自分たちが信じていた価値が嘘であったと教えられた。可哀そうに、彼らはどんなにか傷ついたであろう。この中には、ついにヤクザ仲間に入ってしまった者もいたと聞く。なんと心が痛むことか。

 民主主義と邦訳されたdemo-cracy(じつに気持ちの悪い単語だ)をもたらした米軍は日本を占領すること6年半に及ぶ。その間、日本人の言論の検閲は徹底していた。ここにわが家に残る親戚の手紙がある。

 検閲2  検閲1


昭和21年の手紙。封筒の底には「OPENED BY…MIL.CEN.-CIVIL MAILS」とのシールが貼ってある。一般の主婦の手紙までかくのごとくである。ましてや、公共放送・出版物などはGHQの意向に沿うもの以外は、すべて排除されたのだった。「日本は軍国主義の悪い国であった、無謀な戦争を仕掛けた、今や正義のわれわれが民主主義を与えよう。」というような世論操作は見事なものであった。

なにせ当時、日本人は食うや食わずの状態だった。そんな状態の彼らの頭に、朝から晩まで、彼ら戦勝国のプロパガンダが、呪術師の叫びのようにがんがん流されて、マインドコントロールが成功しないはずはなかった。

 しかし、とにかく生きなければならない。日本人はいつまでも嘆いていてもしようがない。どうせ生きていかねばならないなら、前向きに生きるにしくはない。日本人はとても素直だ。蟻が壊れた巣を直すように、みなが協力して一生懸命、がれきを撤去し、新しい家を建てた。

 しかし、彼ら欧米人の言う民主主義とは物質的利己主義、その自由追求権の保障ではなかったか。それは確かに人間の真の在り様の一例であると小生は思うが。だが、それはどことなく、日本人の伝統的心性にはそぐわないのではあるまいか。民主主義というものには、空高く風に舞う木の葉のように観念的で、どうもわれわれのじっさいの日日の生活感情とは相容れぬものがある…と後になって気付いてはみたものの、われわれの頭は混乱し、今やどうしたらいいのか誰にも分からない様子である。

 まあそういうことで、とにかく、さだ子は、いつまでも敗戦を悲しみ嘆いていても、しようがなかった。とにかく生きねばならない。昭和20年、夫の帰国と共に、主婦として前向きに生きようとする。ほどなく、幸運なことに彼女は懐妊し、新たな生きがいが湧く。

   清き児を恵み給へとひたすらに
     母となる身は祈りつ暮す


   母の名に生きる日日をば想ひつつ
     針もつ午後の陽ざし明るし


   早咲けるトマトの花を数えつつ
     夏きたりなばと語りあひけり


   胎動に喜びの声あげたまふ
     夫の瞳の明るき夕べ


 昭和21年8月、長女を出産す。

   わが息の絶えんかと思ふ苦しみも
    産声聞けば夢のごとく消ゆ<


  慕はれる母としならん一筋に
     乳ふくませつ思ふ夏の日


 敗戦直後、この年から昭和25年にかけて、日本にベビーブームが起こる。父母になったこの世代は、責任感と希望に燃えて、地に足をつけて一歩を踏み出したはずなのだが…。


        

        
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