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葛城行き3

明くる朝、朝食を済まし、橿原神宮へ参る。以前にも訪れたことがあるが、こんなに広かったかなと思う。

   橿原神宮


家内安全を祈願し、改修の募金一口二千円を寄付し、大池を見る。遠景が墨絵のそれのようで、静かで、どことなく古代的だ。沢山の鴨がピーピーという鳴き声を立てながら、水面を滑るように、こちらに向かってやってくる。餌でも持っていればやるのだが。

   鴨池


社務所の横にちょっと変った大きなクロガネモチの木がある。根元のところどころに小さな赤い実が落ちている。数個拾って、後に家の庭に植えた。たぶん生えてこないだろうけれど。

帰りがけ、手水所で、熟年というより老年に近い夫婦が手を清めていたが、奥さんの方が杓を口に持って行ったので、こうして漱ぐのだと教えてやった。へえ?という顔をしたものの教えた通りやった。そして、「ありがとう」と言った。てっきり中国人だと思っていたら、(たぶん)日本人だった。

それから、車を取りにホテルに戻り、橿原考古学研究所附属博物館へ行った。ここはじつに素晴らしい。それこそ石器時代から中世まで、一望のもとに詳細に見渡せた感があった。文字よりも物のほうが、はるかに説得力がある。しかもわが所有する小さな謎の焼き物の正体が判った。これは大きな収穫であった。館内には案内人が何人かいて、その中の一人と楽しく話しながら、見て回ることが出来た。しかし、そのためにだいぶん時間が過ぎた。

  冬晴れに わが陶片の 謎解けぬ

 急がねばならない。自然、足は当麻寺に向かう。もう一度あの伝説の当麻曼荼羅を見ておきたかったのだ。当麻寺に続く背後の二上山に沈む夕日に憧れるあまり、ついに眼(まなこ)に如来が映った、それを蓮の糸で織り上げた布に一気呵成に描いて成ったのが西方極楽浄土を思わせる曼荼羅図であった。この中将姫の伝説は、折口信夫の『死者の書』を読んだ時から、ずっと心の隅にあった。ましてや、桜井・飛鳥を訪れたときは、自然に二上山は目に入る。そのたびごとに、気になる問題のようにもやもやと蘇った。

  夕日影 ながめて寺の 騒ぎかな 

二上山の山頂には大津皇子の墓がある。万葉集に触れたことのある人なら知る、この文武両道に秀でた伝説的な皇子は若くして処刑される。皇子はその前に斎宮として伊勢に居るお姉さん(大伯皇女)に〈密かに〉会いに行っている。皇子の妻・山辺皇女は殉死。この話は東征に向かうヤマトタケルを連想させる。


大津皇子の屍が葛城の二上山に葬られた時、お姉さん大伯皇女の作った歌(万葉165)

  うつそみの 人なる我や 明日よりは
      二上山を 弟(いろせ)と我(あ)が見む


 『日本書紀』には、大津皇子は謀反が発覚し処刑されたと書かれているが、その真相はともかく、詩文芸に優れ、剣をとっては敵なし、性格あまりにも豪胆、その上、美男で礼儀に篤いとなれば、われわれは惜しい男を亡くした、と思うと同時に、彼には不吉な運命が予定されていたと感じる。

当麻寺はとても広く、その全部を回ろうとするとだいぶん時間がかかる。とりあえず本堂の、あの曼荼羅(江戸時代の転写らしいが)を見て、とはいえ暗くてじゅうぶん見えない。しようがないので、ポスターを買って出る。それから講堂と金堂内の仏像を拝んで、帰るさ少し境内をぶらぶらしているうちに、せっかくだから中之坊という寺の庭園を拝観した。

ぐるりと書院を巡ると裏手に庭園がある。池に囲まれた島にサルスベリと思われる木がひときわ目立つ。静かだ。誰もいない。そよともしない池の面に浮かぶ変色した睡蓮の葉が、無住の侘びしさを醸し出している。唯一あちこちに真っ赤な実をつけた千両が地味な庭に華やぎを与えている。

  中之坊庭


  巡りきてふと振り返りまぼろしか
       池のほとりに立つわれを見る


もう2時だ。すぐ近くの食堂に入って、あまり美味しくないうどんをすすり、さあどうするか。

二上山に登って大津皇子の墓参りをしておきたい。ここから直接登ると、一時間半かかるらしい。今の身体ではちょっと自信がない。竹内街道沿いの駐車場からだったら30分くらいで登頂できると、昨日博物館員から聞いたから、時間的にも、体力的にも、その方がよい。しかし、このコースは帰り道からは遠ざかる。途中の道路の混雑を予想して、できれば3時までにどこかの高速入口に入りたいと思っていたが、今は2時半だ。無理である。大急ぎで登れば、ひょっとして途中で息苦しくなるかもしれない。二上山は断念して、帰途に着き、途中余裕があれば長谷寺にでも寄っていくか、という考えが頭をよぎる。

しかし、今回は葛城だけに絞るべきではないか、しかももう二度と訪れることはなかろう、はやり無理をしてでも二上山へ登っておくべきだ、と考え直した。
当麻寺から10分ほどで街道沿いの登山口駐車場に着く。出来るだけリュックを軽くして、さあ出発。

  二上山登り


初めのうちは軽快に登る。しかし、このペースが30分も続くわけがない。誰にも遇わない。ときにこの道で大丈夫なのだろうかという不安がよぎる。一人の女性が降りてくる、路を尋ねると、これでいいと答える。もう少し行くと一人の男性が降りてくる。声をかけても、黙って通り過ぎる。結局、二上山の雄岳・雌岳の間の「馬の背」というくびれの所に着くのに30分かかった。

  馬の背

さあ、ここからが大変だ。高い方の雄岳は左、すぐ近くらしい雌岳は右。しかし、ここまできた以上、大津皇子の墓がある雄岳に登頂しなければならない。長い休憩は反っペースを狂わす。息が鎮まるのを待たず、雄岳を目指して歩きだす。やはり急激に苦しくなってきた。初めのうちは30歩歩いて、1分休憩、最後は10歩歩いて休憩。死の直前の苦しみに耐える練習になってちょうどいい、と自分に言い聞かせて頑張った。予想より早く10分余りで頂上に着く。あまりパッとしない小さな神社がある。剥げかかったペンキで「葛城坐二上神社」と書いてある。若いカップルが拝んでいた。肝心の大津皇子の墓はどこだろう。さらに向こうに下り道がある。たぶんそちらの方にあるのではと見当をつけて行くと、あった。

   大津皇子墓


なるほど、少し樹木が邪魔してるけれど、ここから飛鳥一帯はすぐ眼下にある。奈良盆地のほとんどを見渡せる。なぜ彼の墓をここに移したのか解った。


   飛鳥全景

   大いなる 魂(たま)よこの地を 見つづけよ

ゆっくり墓を一巡し、記念に小石を一つ拾って、雌岳に急いだ。雌岳の頂上には、石のベンチが円を描いて置かれ、そのまん中に石の日時計のようなものがある。

   雌岳


ここで、熟年夫婦に出遭った。二人はよくこの山に登りにくるそうだ。散歩にちょうどいい距離だという。なんと健脚なんだろう。僕がこれから駐車場まで降りて行くと言うと、登った道とは違う道を教えてくれた。下山途中で、遠くに大阪湾の海が微かに見える。また大きな石窟の祠の跡(岩屋)と石切り場の跡を見た。この辺りは、奈良時代以前から、古墳に使う石が取れたそうである。岩を切った跡や大きな石塔が散在している。

彼らに礼を言って、駐車場手前で別れた。後は、帰るだけである。とにかく二上山に登ったという満足感が体に満ちていた。奈良盆地を横断する高速道路を飛ばした、右後方に沈む赤い夕日を感じながら。

  二上山全景


やはり、予定より1時間くらい遅れたせいか、途中から高速道路は大渋滞の予報、それで一般道に降りたが、やはり渋滞。この辺りで、正面やや右手に月が出てきた。まんまるい大きな、金色がかった、『サロメ』にでてくるような気持ちの悪い月である。時おり、小さな雲の断片が月を過る、その一瞬、雲の周辺が金色に照らされて妖気を放つ。こんな不気味な光景にさらされながらも、快い疲労感に浸っていた。

   わが魂の 炎は月に 吸いとられ

         

         
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