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葛城行き4

二上山に沈む夕日に西方極楽浄土を見るのなら、考えてみれば、この旅は、西方極楽浄土に始まって、またそこに終わった感がある。というのは、僕はまったく忘れていたが、四天王寺の西門にある例の鳥居だが、あれは寺がある東から西の海へ入り日を拝むためであった。なるほど、『弱法師』にある、「極楽の東門に 向ふ難波の西の海 入り日の影も 舞ふとかや」と言われるほど、中世では、すでに四天王寺は、洗練された西海極楽浄土への入口として有名であったのだ。

あの時代、日本の玄関は西に向いていた。日本人は西からやってくる渡来文化にいかに憬れていたであろう。仏教は中国から伝わったというものの、もとはチベットの向こうのインドからきたものだ。西方極楽浄土への憧れは、われわれが想像するよりは、もっと芳しい、一種の華やかさを伴っていたのではないのかな。

折口先生は語る―

わが国には、仏教が入ってくる以前から、日を拝む信仰があった。その昔、女たちは野遊び・山籠りという風習があって、どこと言うことなしに、東に西に日を追って廻っていたが、最後に行きつくところは、山の西の端、西の海に沈む日輪を拝んで見送った。

それが、仏教が入ってきて、その経典の影響は深く、いわば習合がおこって、いつしか洗練された形式、日想観を生んだ。ましてや彼岸中日ともなれば、日輪への憧れは頂点を極めた。そこへ天台の僧源信が「山越の阿弥陀図」を描き、それは彼の生まれ故郷の当麻と切り離せないものがあった。そのようなことから、中将姫の「蓮糸当麻曼荼羅」の伝説が生まれたらしい。

     憧れは 彼岸を待たぬ 病かな



     


     
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