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日本、二つの敗戦 2

大東亜戦争(アメリカでの呼び名は太平洋戦争)はどうして始まったのか。

太平洋戦争の研究者であるH.K氏のお話。
昭和16年(1941年)11月25日位までは、アメリカも日本も戦争を回避するよう頑張っていたという。ルーズベルトは前年8月の大統領就任演説で若者を戦争にやらないと公約していたそうである。だからアメリカから開戦することはありえなかった。

 11月20日、野村大使と来栖大使は米国務長官ハルにいわゆる乙案を提出(すでに暗号は読まれていたという)。ハルは24日に回答する旨伝える。

 22日ルーズベルト大統領は「対日暫定協定案」(乙案)の了承の提出するため国務省に、英、蘭、豪、中の大使を集め了解を求めた。しかし、中国大使胡適が猛反発したため、日本への回答を25日に延期する。(中国、すなわち蒋介石は何が何でもアメリカを戦争に引きずり込む必要があった。胡適はその大役に相応しい巧みな弁舌家であったらしい)

24日および25日、胡適の反発強く、日本への回答をさらに延期する。
26日早朝 米軍からルーズベルトへ「台湾沖を日本の大船団が南下中」との情報(誤報)が入り、ルーズベルトが激怒。17時、野村・来栖両大使にハルノートを手渡した(乙案は受託せず)
27日、日本海軍機動部隊は択捉島から出撃。

12月1日 御前会議にて対米英蘭開戦を決定。
    8日 ハワイ真珠湾攻撃

この報を聞いて、蒋介石とチャーチルは狂喜した。やっと日米が戦争をしてくれる!
要するに、中国人の胡適こそ日本の真珠湾攻撃を促した最大の立役者であった。そして、H.K氏は付け加えた「日本人は外交が下手だね」と。

 負けることが分かっていた戦争をしなければならなかった。・・・外交が下手な日本を小生は無限に愛する。


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