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温泉での空想

 今日は田舎の家に用事があって、ついでにそこからほど近い山中の温泉に行った。ここは時々行く。とても空気がおいしいところでとにかく気持ちがいい。
 例によって露天で縁石に頭を置いて空を見つめていた。雲が動いていろいろな模様を見せてくれる。自分も空の中にいるような感覚を覚える。そして思う、いったい自分は何処にいるのだろう、自分の意識は地上の一角に限局しているものだろうか。肉体の中にいるとは考えられない。なぜなら肉体とは要するに蛋白質だ、そんな中にいるとはまったく思えない。あるいは、この肉体を通してしか世界に関わりあうことができないのか。しかし、自分は思うところに意識を移すことが出来る。
 意識の底には、無意識があるのだろうか。きっとほとんどが無意識であろう。目の前の知覚や今思い出している記憶以外のものはみな無意識ではなかろうか。ようするに地下の貯蔵庫だ。それがなければこうやって文章など書いてはおれないはずだ。
 そして、広大な無意識には層があるはずだ。すぐ思い出しやすい記憶から、なかなか出てこないがしかし自分の傾向を強く決定しているような深い層まで・・・たとえば集合的無意識なんていう層が。それはある共同体に共通の作用をしている意識。そしてもっと深いところには人類共通の原始的な意識が。それはわれわれが頭で考えてもなかなかその出所が解らないがしかしわれわれの思考や行動を規定しているようなある力・・。
 アーラヤ識という言葉が頭に浮かんできた。この言葉を知ったのは三島由紀夫の最後の小説だ。そして、今日11月25日はまさに彼の命日だということを思い出して奇しき因縁を感じた。三島はあの小説にすべてを投じたと語ったときいているが、彼はアーラヤ識でなにを語りたかったのか・・・今はもう何も思い出せないが、その世界はあたかも素粒子の世界のような次元の話だった印象だ。
 小生のような素人が最近の科学者の物質と反物質、CP対称性の破れとかなんとか、その僅かな非対称がこの宇宙を生み出したとかいう話を聞くと、何かぞっとする。死ぬことよりも何よりも宇宙の誕生の話のがうんと不気味だ。なぜならわれわれは絶対的な〈無〉というものを考えることができないからだ。
 それにしても、徹底的に視覚的人間であり、美の観念の塊のような三島が、最後の作品で混沌たる意識の最深部のことを考えていたのは何故であろうか。
 まあ、この世もあの世も謎でないようなものは一つもない。


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コメント

No title

楽しそうな領域に住んでおられますね。時々遊びに行かせてもらいます。三島事件は事件としてはとても暗いですけれど、彼の訴えはそのままに単純明快に受け取ってよいと思います。

お初で~す

こんにちは、うたのすけ様、

私ブロ愚への返句コメントありがとうございました。

温泉でこのような空想をされるあなた様はひょつとすると仙人様では・・・だとすれば憧れの御方様でございます・・・ホッホッ、ホの字?!・・・笑

三島の割腹時、19歳の多感なころで不可解な事件として残ってます。
いまもって彼の行動は不可解ですが彼の美学は少し解るような気がします。
また寄らせてもらいます。あなた様も遠方ではございますが、またいらしてくださいませ。

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