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大正天皇 2

原武史著『大正天皇』によると、大正天皇のご生涯を通覧するに、誕生直後から20歳くらいまでの20年間、そして40歳前から崩御されるまでのおよそ十年弱の間、病気がちであった。
新生児~乳児期においては、髄膜炎と思しき症状が頻発している。生後半年も経たぬ間に中山忠能(ただやす)邸に満六歳になるまであずけられる。満6歳以後は青山御所に移されるが生母には育てられなかった(母は側室であった)。
7歳から御学問所で個人教授を受けるが、理解が遅々として勉強は捗らなかった。かなり気分屋で、じっとしているのが苦手らしく、饒舌で「これは何?これは何?」と訊くことが多かった。この性格は生涯変わらなかった。今日流に言えば、アスペルガー症候群といわれるものであろう。
その後も、百日咳?を頻発したり、腸チフスになったりして、学習院での少人数の講義にもついていくのが難しく、特に文章の意味を解することや算術の規則を理解するのに困難があったという。
明治28年、皇太子(大正天皇)16歳の年は発熱を繰り返し、さらに勉学は遅れたため、学習院を中退させ、個人教授が始まる。授業は、皇太子にとっては、負担にすぎ、皇太子は東宮職員を辞めさせろと言い出すにいたる。
このような状況のなか、伊藤博文は、いままでの東宮職による詰め込み教育を廃し、皇太子の生活全般を補佐すべき一人の東宮監督を付けるよう天皇に意見する。その要請かなって、有栖川宮威仁親王を、東宮監督の補佐として皇太子に付けた。
有栖川宮は、〈健康第一、学問第二〉という方針で皇太子に接した。そうして、規律を嫌う皇太子の性格を考慮した教育を考えた。
  

             

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