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「エフゲニ・オネーギン」を観る

 レニングラード歌劇場によるチャイコフスキーのオペラ「エフゲニ・オネーギン」を観た。
 今回は、このオペラはなかなか纏まっている、無理のない筋の運びだと感じた。
 音楽はもちろんチャイコフスキーの香りぷんぷんだけど、感傷的でないのがいい。19世紀後半のオペラはすべて多かれ少なかれワグナーを意識していると思われる。どんなにワグナーに反抗しようとも、やはりその影響から逃れることはできない、と聴いていて思った。もっとも小生が勝手にそう感じるだけかもしれないが。タチアナ役のソプラノはなかなかよかった。
 この作品はもちろんロシア国民文学の祖プーシキンの同名の小説のオペラ化だが、この作品名の主人公オネーギンはいい加減な、というか親戚からの遺産で生きている、女たらしの高等遊民。この男にぞっこん惚れる田舎の小娘タチアナはオネーギンに適当にあしらわれ傷つけられる。しかし後に大貴族の奥方となった立派な!タチアナに今度は心奪われるオネーギン。彼はタチアナに接近するが、人妻の身であるから一緒になれないと彼女に拒否され、失意のうちに己を呪う。
 ドストエフスキーは、タチアナこそロシア的魂の勝利であり真の主人公で、作品名は「タチアナ」であるべきだ、といったことは有名。もっともドストエフスキーはオネーギンの百倍くらいいい加減な、そしてもっと悪質な男であったと想像する。ただ一つの違いはドストエフスキーは物書きの天才であった、という点だ。
 チャイコフスキーの音楽の憂鬱は、やっぱりロシアの憂鬱じゃないかなぁ。なんというかスラヴ人が西洋人の仮面をかぶったところで、やっぱり西洋人には成りきれない苛立ち、というよりも、そんな仮面をかぶろうとした己の卑しさにたいする苛立ちと諦念かな。ペテルブルグの知識人は顔立ちは西洋人だが魂はスラヴである高等遊民なのだ・・・。
 それで思い出すが、わが国で高等遊民を描いた憂鬱人といえば漱石がいる。わが国の明治時代にも、19世紀のロシアに似た一面があったのだろうか。しかし、漱石の青春小説に比べるとロシアはなんと巨大なものを背負っていることかと感じる。あまりに重すぎてあまりに悲しすぎて彼らは押しつぶされている。
 なにせ、日本はずっと古くから地に足がついた固有の文化の伝統があったし、明治時代には何といっても「坂の上の雲」という明るい面があったからなぁ。


    

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コメント

No title

なぜでしょう?解りません。

No title

その憂鬱なロシアが、バレイというこの上なく優美な芸術を生んでいるのはどうしてでしょう?

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チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」

<レニングラード国立歌劇場日本公演> 2009年12月4日(金)18:30/兵庫県立芸術文化センター 指揮/ピョートル・フェラネツ サンクトペテルブルク・ミハイロフスキー劇場管弦楽団 サンクトペテルブルク・ミハイロフスキー劇場合唱団 演出/スタニスラフ・ガウダシンス?...
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