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日本人とキリスト教 1

 なでしこ☆さんのコメント、神道とキリスト教との近親について今日は考えていました。

 「宗教のことほどその源が清く、その末の濁りやすいものもすくない」と藤村は書いておりますが、古今東西の宗教対立をみてよく首肯できる言葉ですね。ただ神道は自然信仰といいましょうか、教義をもつ宗教ではありません。世界中の人間が普遍的に持っている原始的な素朴な信仰形態です。これが国家の中心的な宗教である文明国は、日本くらいのものではないでしょうか。そこが日本の独特の在り様だと思います。それだから、日本は仏教も儒教もキリスト教も容易に受け入れ、また深く理解することができる素地があると思います。
 そこにまた他方、外国人から日本人は無宗教だとか、あるいはいい加減だ、あいまいだと言われる所以もあると思います。
 もちろん日本人の中には仏教に深く帰依したり、深く教義を展開していった人達も多くいますが、全体として自然宗教性はわれわれの中に強く残っています。

 藤村は先の言葉につづけて、「わが国神仏混淆の歴史は何よりも雄弁にそれを物語っています」と言っています。これは、本居宣長などの国学者のつよく指摘するところで、仏教や儒教が入ってきたために、われわれ日本人は〈まことの道〉を失って理屈を言うようになったとでもいいましょうか。

 ちょっと別の話ですが、日本の仏教の受容はとても速いですね。ご存知、聖徳太子の時代、天皇・蘇我氏連合軍つまり権力側が仏教受容派だったということと、日本人には怨霊信仰がとても強く、これを鎮めるために仏教はとてもよい道具だったのではないかということを考えます。この怨霊信仰ですが、怨霊の祟りは罪という言葉でも表されているのではないかと小生は勝手に思っています。罪は日本書紀にもでてきますし、源氏物語にいたっては頻繁に罪ということばが出てきます。その使い方はわれわれが今いうところの、それは罪な話だというときと同じ感覚です。

 そんなことは、世界中どこへ行っても、どんな原始的な文明にも、(内容は多少違っても)善いことと悪いことの区別はあるではないか、と人は言うでしょう。そう、その善悪の観念が人間にはあたかも先天的に備わっている、このことが人間という種族保存にとって生物学的に最重要な戦略だと小生は思います。が、それはまた別の機会に考察したい。広がっていく問題にあまり付き合っていくと、論旨が判らなくなる。
  
 さてキリスト教はどうなんでしょう。仏教と同じ運命をたどるのでしょうか。それはなんとも解りません。ただ小生がキリスト教の特異性を強く感じ、日本人はもっと積極的にキリスト教の教えに突っ込んでいくべきだと思うのです。

 小生がいま考えていることは、キリスト教の教えは完全に実践にあって、本来教義にはないのではないか、ということです。それは、おそらくカソリックの(とは限りませんが)神父らの沈黙の行為の中に脈々と受け継がれているのではないか、と思うのです。この沈黙こそ教義にはならない〈まことの道〉、あるいは教えの背後にある言葉を超えたⅩを生きることではないかと。それを敢て言葉にするとどうしても普通の論理にはならず、例えば「右の頬を叩かれたら左の頬も出せ」とか訳の分からぬ、逆説的表現になってしまうのではないかとも思うのです。    ・・・続く 
 
  

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テーマ : 文明・文化&思想 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

宗教

神道もりっぱに宗教だと思います。宗教の定義ですけれど、不十分ながら「マインドコントロールの効用8」でも書きましたように、生存の不安を軽減してくれるものこを宗教だと考えればいいではありませんか。だから人間がこの世に現れたと同時に宗教もあった。
キリスト教は、その源泉(教え)とそれが根底にある西洋文明の伝統の人達の生活感覚とを、まずは分けて考えなければごちゃごちゃになります。そのことはいずれ本文で触れたいと思います。

それから・・・

ここは、キリスト教についてのお話でしたね・・・すみません!
キリスト教の教義は、
神と人間に対する「無償の愛」と「友愛」が実践のようです。
「沈黙」もまた、その1つの行為の表れだと理解します。
キリスト教会には、外国の友人たちと数回ミサに参加した経験が
ありますが、そこで教えられたのは「愛」のテーマでした。
もちろん、神や子(イエス)という人はどんな人?等の説明されました。

そして神道ですが、何でも各宗教を受け入れるという素地は、
宗教的な教えの中に神道と同じ共通点があるからだと思っています。
本当に説明が下手ですみません。
ただ、神道は教えではない(宗教的でない)と考える一人なのですね。
誤解のないように、言いますが、「国家神道」は、
宗教としてありましたし、
本当は宗教として考えた方が正しいのかも知れません。
でも、神道を宗教観だけで見ていると、
あまりに複雑で繊細な要素を持つ神道は、
論理的な宗教解釈があてはまらない事に気づきました。
しかし、神道を外国の方に簡単に説明する方法は、
他の宗教と並べるしか手はありませんので、
そのこと(うまく納得してもらう方法)を、常に考えている私です。

なでしこ☆のコメントがきっかけに?恐れ入ります。

恐縮ですが・・・この未熟者が,コメントをさせて頂きます。
私の友達方(外国人)は、クリスチャンがほとんどです。
でも、その友人や知人から
「仏教は理解できるけど神道は分からないから教えて!」
という質問を必ずされて来ました。
なでしこ☆なりにその方たちに説明するには、
聖書を読み比較するしか手は無いと重い聖書や
キリスト教の歴史を勉強しました。
が・・・キリスト教は、論理的に1神教なので・・・
仏教と同じだと思います。
(神と人間のルールという、ある種の教えですからね。)
だから、彼らは、日本の仏教は理解できるのです。
しかし、神道の理解は・・・
神と人間の間にルールという物が存在しない。
日本人である私にも神道理解は、かなり難しいものですよ。
でも、日本人が神道を理解しなくても「日本人を体感する」ことで、
なんとな~く、神道が何かを無意識に理解しているのでしょう。
「神道を、説明しろ!」と言われると・・・
教えではない神道は、言葉の領域を超えてしまう所がある。
難しいんですよね・・・これ!

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澄み濁るをば神ぞ知るらん

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